2011年11月2日

遠い

先日、新潟県の旧山古志村の地震七周年慰霊式典に行きました。鯉の養殖が有名で、阪神淡路の時にたくさんの鯉の寄付をいただきました。子どもたちが絶対にここに帰ると言って廃村を免れました。見た目は復活してますけど、まだまだですね。セレモニーの最後に神戸のしあわせはこべるように、を山古志に変えて小中学生が歌ってくれました。

そのあと、福島の南相馬に行きました。仮設が建ち並び、放射線の危険もあります。一応、解除されましたが、まだ帰って来れない方がたくさんです。炊き出し、物質の配布、落語とやりました。津波のあとは見たくなかったのですが、見ました。田んぼに船が突き刺さり、あちこちで線香が煙を出し、真新しい花束がありました。阪神淡路で色んな地獄も見ましたですけど、すさまじいとかでは表現出来ないですね。

忘れたいけど、忘れられない、忘れたら、なくなった人たちに申し訳ない、次の世代に伝えるのが生き残ったわしらの仕事やんか、と思った次第です。

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