熊本、大分など、大変ですね。やっぱり震度6と7は違うと再確認しました。東日本の時は津波の恐ろしさに言葉を失いましたが、今回は私が目の前で見た光景とあまりにだぶり正常心でおれません。
被災地の皆さんがこれを見ている暇は無いと思いますが心よりお見舞い申し上げます。
恐らく仮設住宅などが整うまで避難生活は続くと思います。我々も1年以上の避難、仮設解消まではさらに数年、その後も高齢化、孤独死、失業、立ち退き、などなど、21年経っても問題はてんこ盛りです。復興復活した神戸を楽しんで頂き、ゆっくり観光してほしいのはもちろんですが、かつてのゴミゴミした美しい街やせせこましい、イカナゴのくぎ煮の香りがプンプンする、消防車などとても通れない愛する路地はもうありません。安全と引き換えに失ったものもたくさんあります。友達の子供、親、じいちゃん、ばあちゃんの命が礎になって今の安全、復興復活があればこそ、我々の今があると思います。
感傷に浸っている場合ではありません。報道によれば避難所など、我々が経験したのと同じ問題が起こっているようです。
参考になるかどうかよく分かりませんが、当時、報道に関わった一人として申し上げます。
まず、避難所にリーダーがおり、物資の管理、配布などしているところ、配布に子供が手伝っているところ、とりあえず、休業状態のお父さんたちが荷物運びなどやってるところ、避難者名簿を作っているところ、教室など、近所どうしのところ、使用済みのダンボールを重ねて畳代わりにしたり、ついたてにしたり、授乳 、着替えスペースを作ったところ、受験期だったので勉強部屋を作ったところ、電話、電気、ガス、水、何も無い崩れた自宅に残っている人、障害者、車椅子、外国人に配慮したところ、などは比較的にスムーズに運営できていたようです。
また、よからぬことを考えるどあほがいたのも事実です。東日本でもそうでしたが、泥棒、デマなどでした。
関西の報道では暗黙の了解で報道しなかったようですが、私だけでもいくつか見聞きしました。どうも半壊状態の家に「家族無事、どこそこに避難、連絡は」などと書くのは泥棒を誘発しているようです。またそれを見て借金とりが押しかけた場合もありました。受験生、子供を何日か預りますと言って、可愛い女の子、と指定してきた、考えられないケースもありました。この電話は私が放送局で受けたものです。さすがに受話器を持つ手が震え、鳥肌が立ちました。もちろん放送はしませんでした。
しばらくたつと救援物資のおにぎり、パン、牛乳パックに飽きてきましたが、地元のパン屋さんなど営業を再開できませんでした。わずかにもらった義援金でパチンコに行ったと非難されましたが、パチンコ屋さんも被災者です。女の人が義援金で化粧品を買い、美容院に行き、笑顔を取り戻したのが美談と扱われ、パチンコ屋さんの笑顔はフシダラと扱われました。
救援物資でありがたいと言うか意外と言うか、はやっぱり化粧品、ホテルなどの備品のシャンプー、化粧水、歯磨きセット、タオルなど。水道が復旧してからの洗濯バサミ、ロープも意外でした。3月3日に曹洞宗ボランティアからもらったイチゴは大人も子供も泣きながら貪り食いました。土地柄、韓国のインスタントラーメン、山口組の紋の入ったジャンバーもありがたかったです?ね、配給に並ぶおじいもおばあも皆が山口組員でした。
道路が復旧してからは民間の炊き出し、有名店のカレー300人前、豚まん500個、ラーメン、サンドイッチ、などなど、これで震災から3ヵ月くらいかな?桜は咲いてたかな?
卒業式では避難場所の講堂、体育館を一時明け渡し、被災者が掃除して人間のトンネルを作って被災地に咲いた花を卒業生に渡しました。そんなこんなで春の選抜高校野球を迎え、やっとちょっともとに戻ったと喜びました。
おかげで地域のつながりは強くなり、顔見知りも増えましたが、ここまで長引くとも思っていませんでした。
熊本、大分、東日本も含め、被災地の皆さん、いつか笑える日はきます。今こそ世界中に見せましょう!ワシらの底力を‼